人を創る。
市進教育グループ50年史
企業情報

市進ホールディングス 50年史 「1976~1980年」

高まる教育への需要
~経済成長とともに上向く生活水準~

社会に貢献できる組織づくり

1955年から1973年にかけて、平均10%を超える驚異的な比率で経済成長を遂げた日本。いわゆる高度成長期と呼ばれるこの時代、カラーテレビやクーラーなどの家電や自動車の普及が象徴するように、人々の生活はどんどん豊かになっていった。

生活の質が高まれば、教育分野に求める水準も高まるのはごく自然な流れといえるだろう。学歴が重視され始め、「生涯学習」という概念が広まるなど、経済成長と比例して人々の価値観も変化していった。

それと同時に、学校の授業だけでは不十分と考える保護者が増え、学習補助を行う塾や予備校といった教育機関へのニーズは次第に高まっていく。高度成長期が終わりを迎えた1973年の第一次オイルショック、1974年の戦後初のマイナス成長など一時的な不況に陥ったときでさえ、塾や予備校に通う生徒が減少することはなかった。

こうした社会的風潮において、組織を設立し本格的に塾を運営していこうと、1975年に法人化を果たした市進 。教育に対する社会の強いニーズに対応するにはしっかりした組織が不可欠であるとの判断であった。

企業として発展していくからには、社会的意義のある存在、社会に貢献できる存在でなければいけない。千葉県で産声を上げた市進にとって、県内の公立高校から大学合格者を少しでも増やすなど、千葉県の教育および文化水準の向上に寄与することが大切だと考えた。単に高校合格をゴールに設定するのではなく、その数年先にある大学受験をも見据えた指導を行い、真の学力を身につけてもらうという市進のスタイルは、当時のそのような志が礎石になっているといってよい。

西千葉教室の授業の様子

翌1976年には、塾の教室展開に向けた準備に腰を据えて取りかかると同時に、予備校事業も視野に入れて大学受験の調査を開始。塾と予備校それぞれの事業展開に向けた土台づくりを着実に進めていった。

そして1978年9月、千葉大学付属中学校がある西千葉に、初の拠点展開を実現。翌1979年2月には、市川進学教室の姉妹校として市進予備校を開校した。当時は、同じ組織内の一部門としてではなく、塾は「市川進学教室」、予備校は「市進教育センター」という別々の会社が運営する形でのスタートとなった。

市進予備校

三大予備校(駿台予備校、河合塾、代々木ゼミナール)が定着していた当時、市進予備校は全国で初となる現役高校生を対象にした画期的な予備校として注目された。対象生徒は浪人生という予備校の一般概念を打ち破るかのごとく、現役高校生のうちにしっかりと受験準備ができる予備校として、他校とのちがいを明瞭に打ち出すことが戦略の中枢となった。

顧客の声とともに成長する塾を目指して

市進会の様子

企業を発展させる上で、顧客の満足度を向上させることもまた大切な要素だ。質の高い教育サービスの提供を追求すべく、市進は同1979年に「市進会」というPTA組織を発足。年に1~2回ほど保護者の代表に集まってもらい、講師に対する不満やリクエスト、市進に改善あるいは強化してほしいことなど、保護者のさまざまな声に耳を傾ける。いわば、保護者と連携して市進という塾を成長させるための会を設置したのだった。

都賀教室

市進会を通して、保護者と直接顔を合わせて問題や課題をともに洗い出すなど、保護者に深く関わってもらうことでより良い塾を目指したのだ。(現在はコールセンターで直接ご意見を伺う)

そして1980年には、津田沼と都賀に同時に2つの教室を開設。組織としての基盤づくりを強化しながら、拠点展開を進めた。

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