人を創る。
市進教育グループ50年史
企業情報

市進ホールディングス 50年史 「1981~1985年」

拡大に向けた一歩
~時代の潮流に活路を見出す~

信頼を勝ち得たブランド

みんなで合格者を胴上げ

以前にも増して私立中学受験に強い関心が向けられるようになった1980年代初頭。校内暴力や深刻ないじめなど荒れた公立校(特に中学校)が大きな社会問題となり、公立中学校に対して不安や不信感を募らせる保護者や生徒が急増したという背景があった。大学付属の中高一貫校に進学することで、厳しい大学受験を避けたいという考えが次第に広まっていったことも大きな要因だった。

学歴重視の風潮が強まるなか、1979年に導入された共通一次試験に端を発した受験戦争は、1980年代にはますます熾烈を極めた。大学進学を希望する学生の数は大学の定員数をはるかにオーバーし、二浪三浪を経て大学に進学することもあったこの時代。三大予備校として知られていた駿台予備校、河合塾、代々木ゼミナールが全国展開するなど、予備校への需要はさらに高まっていった。

こうした中、めんどうみの良さと質の高い教育サービスの提供を徹底する進学塾・予備校としての信頼を勝ち得ていた市進。ブランド力をさらに高めていくために、組織の足腰を鍛えることにますます力を注いでいく。

1980年代前半は、そのための組織拡大が具体的に進められていった。1981年11月、進学塾事業の「株式会社市川進学教室」を、現在の「株式会社市進ホールディングス」の前身であり、予備校事業を行っていた「株式会社市進教育センター」が吸収合併。また、教務部門のみを充実させるのが塾のあり方として一般的だったが、ダイナミックな拠点展開を目指すべく、一般企業と同じように経理や人事などの機能を持たせた業務本部(管理部門)を設置、教務部門・管理部門の両輪の充実を企図した。

1982年には、それまでの本八幡、西千葉、津田沼、都賀といった総武線沿線だけでなく、常磐線の松戸、京成線の八千代台に教室を展開。他の沿線への進出によって顧客獲得の拡大をはかるのが狙いだった。

社名変更とウイングマークの誕生

1984年は、さらなる組織再編が促進され、また大きな取り組みとしてCI(コーポレート・アイデンティティ)を導入した。

CIの導入により、社名を「株式会社市進教育センター」から「株式会社市進」に、小中部門の校名を「市川進学教室」から「市進学院」に変更。マリンブルーのシンボルカラーやウイングマークが誕生したのもこのときだ。ウイングの「F」は、「第一級の講師陣と教育環境」を表す「First」の頭文字であり、その2つがクロスすることで「V」が形づくられている。「Victory」を意味する「V」は、未来を創造する教育の重要性と、市進のファイティング・スピリットを表す「Wings for Victory(勝利への翼)」をシンボライズしたものである。

新人研修

市進の集団授業の屋台骨といえるハイレベルの講師陣や教育システムの土台が築かれたのも、同じく1984年だった。企業の成長力を高めるには独自の研究開発力が必要という考えに基づき、講師の研修とオリジナルの教材を開発する担当部署として「研修開発室」と「教務室」を綜合研究所に設置。充実した研修はもちろん、オリジナルの教材を使いながらカリキュラムに沿って進めることで、講師ごとのレベルや進行スピードの差を最小限に抑えることに成功した。当時の塾には類を見ないこの画期的な取り組みが、市進のブランド力向上に大きく寄与したことは間違いない。

千葉校

新たな体制をバックに翌1985年、4教室を同時に開校させるなど学院のさらなる規模拡大に成功。予備校においても、2校目となる千葉校の開校や短大コース部門の開設など、拡大に向けて一歩を踏み出した。当時は短大進学にも人気が集まったため、予備校史上初の試みだった短大コースにも十分に勝算を見出すことができたのだ。

初めて出版した「高校受験ガイド(千葉県版)」

そして同年8月には、1982年に発足した出版準備室から、市進にとって初となる「高校受験ガイド(千葉県版)」を出版。自分たちの強みである精度の高い情報を発信した

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